迫りし自由の果て

つくって、吐き出し、できるだけピュアな状態を大切にするものがあれば数えきれない融解を繰り返し当初とは全くの別物に落ち着くものもある。それらをデータに置き換え視覚化する。一連の流れが終わればまた最初に戻ってライブをして酒を飲み人と話し心が動く物事にだけ手を伸ばし身を委ね、時がくればまたつくる。これがもう6年もの間ルーティンとして当たり前に存在していたけど今初めて変わりつつある。全部同時に進行させてしまえる かもしれない。

出会ったのは14~15才の頃か、メタルにしか興味なかった俺にギターの可能性やらを全て与えてくれたように感じた9mm Parabellum Bullet。Waltz on Life Lineというアルバムが出るまではリアルタイムで全て追い続け、クソ安いepやシングルにつけてくれていたフルのライブ音源に震えて壮絶なチケット争奪戦を何度も勝ち抜き何度も脳や心を痺れさせてくれた。何度も信じて見に行った。ハタチを過ぎたあたりからは困ったことにあらゆる視点でバンドを、ライブを見てしまうようになり気持ちの置き所が分からなくなってずっと好きなバンドを見にいく理由がどんどんなくなっていった。もう知り尽くしてしまったような気がしたしそれを否定できるポイントが何一つなかった。それでもあまりにも腐れ縁すぎるやつが チケット取ったから見に行こうぜ と声をかけてくれたら断る理由は何一つない。わざわざ名古屋まで見に行くも気持ちは何一つ変わらなかった。良い けど。それでも新作がリリースされたら気になって買ってしまう。BABELのリベンジ再現ツアーから明らかに変わってきた気がする。変わったというか戻った。そういう気がするな〜とふわふわした気持ちを宙に浮かせたままだったがBrand New Dayのライブトラックを聴いて確信に変わった。きっと彼らも帰りたい場所や戻りたい気持ちが手に負えないほどに在ってしまった。でもバンドというものは人と人がやっていること、その間には数えきれない程の複雑な何かが虚勢を張り巡らせていて簡単には再起動できない。きっと、ようやくその渦中に入ったのだと思う。そうじゃなくても、俺は自分の中で気持ちを着地させることができたので感謝している。想いを馳せ続けているバンドはもう数える程しかいないけど、どうにか形を保ち続けてほしい。遠い存在の人たちも、すぐ側にいてくれるやつらにも。

モードが違えばインとアウトの割り切りを明確に建てて切り替えてきた。それがどれだけの労力か を気づくのに膨大な時間を溶かしてしまった。今こう思えていることは全て腑に落ちているが。

 

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