ONEWAY TICKET TOUR 2024

既に初日の名古屋を終えており、2本目である東京はもう明日に迫った今これを書く意味がどの程度あるのかわからないがしっかり記しておきたい。

 

2月23日 名古屋 池下CLUB UPSET

w/SAD FRANK , colormal

 

3月29日 東京 下北沢Daisy bar

w/BUGY CRAXONE , mabuta

 

4月21日 大阪 南堀江SOCORE FACTORY

w/Transit My Youth , FATE BOX , blondy , the seadays , モラトリアム , mogari

 

6月7日 東京 新代田FEVER 

Hue's ワンマン

 

2023年の寒くなり始めた頃、「来年どうするべ?」と話していた時に龍が「東名阪でツアーやりたい。んでそのあと東京でワンマンやりたい。」と。いやちょっと と言う理由は無いしツアーらしいツアーなんか久しくやれてなかった。ので取り掛かることにした。Hue'sがやるライブを自分たちで着実に、ひとつずつ手にしていくことが何よりも確かで信じられるもの。年末のワンマンの準備と共に並行してハコを抑えてブッキングを編み、気がつけばもう年を跨ごうとしていたと思う。この辺りはただの抜け殻で生きることすらままならない日々が続いていたので本当に記憶がない。テーマは"今までガチンコでやったことのない先輩とバトりたい"でかなり難航したブッキング、勝率は20%ぐらいだった。頭を抱えるおれたち。ただのファンな上にどれくらいHue'sのことを認知してくれているのか一切分からないがSAD FRANK加藤くんとBUGY CRAXONEに思いの丈を大量に綴ったものをGメールに載せて伝えてみた。するとどちらもOKと返事をくれた。名古屋と東京はこれで完。大阪はどうする?また0から組み直し。あー、おれらってグッとくる友達いっぱい誘ってイベント打ったことないよな〜ソーコアやしいっちょ組んでみるかと手分けして各所に散りばめたラブレター。凄まじい速度で返ってくるOKの言葉。流石に嬉しかった。そしてファイナルとなる東京ワンマンはFEVERである。どうなんの?不安ではあるが発起人である龍の「ワンマンは!FEVERがいい!」という言葉に誰も異論はなかった。こういうのは強い意志で発言したものが1番強いし頼りになるのである。

あらゆる作業や思考に脳みそを圧迫されている我々に近づく初日名古屋。「そういえばツアーやるのに何にも出さないのもったいなくない?」とannちゃんに言われる2月中旬。たーしかに!となった俺たちは大急ぎで速くて(自力で作るので気合次第)安くて(自力で作るので限界まで価格を下げられる)最高(ライブ音源)なブツOfficial Bootleg vol.2の製作に取り掛かった。なんと今回は根來真嗣がミックスしてくれた。これ、かなり良いです本当に。Mayday/my girl/ひまわり/I LOVE YOU/ALMA/ベランダの6曲入って500円。annちゃんが「vol.1は5曲で500円だったし、今回も5曲の方がいいんじゃないの?」という言葉に「いや!安くて曲がいっぱいあった方が絶対に嬉しいんで!テイクもいいし!」と凄まじい熱量で突っぱねた俺を今は恨んでいます。6曲1000円でも良かったなと思うくらいには根來のミックスも俺たちの演奏も良いので。と言うことで物販限定販売で並べておりますので是非とも買ってくだされ。

こうして結局ドタバタになったまま迎えたツアー初日名古屋。リハで龍のVOXが突然ぶっ飛びノイズすら出してくれないかなり重いハコに成り果て、幸先はかなり悪いスタートを切りました。ちなみに名古屋前日のスタジオでは龍のマイクも壊れた。colormalイエナガくんに急遽ケトナーの全くケトナーらしくない男前なアンプを借りてなんとかやり過ごしました。サンキューイエナガくん。楽屋で加藤くんに今回のツアーの意図とかを聞かれてそこでようやく気づいたわけです。「あれ、おれらもしかして何にも説明しないままにツアー決行してしまってるなこれ。」と。かな〜りふわ〜っとしてることに対して一先ず謝罪し、笑いながらほとんどこのことを受け入れて理解してくれた加藤くんに感謝である。トップであるcolormalはいつも通り酩酊というよりかは黄泉、ポップというよりかはシックなライブを放ってくれて一安心した。2番手を頼んだSAD FRANKはかな〜りふわ〜っとしたおれたちのツアーの意図を汲みまくり「3~4年前に一度出会って、Hue'sとやるのはそれ以来なんですけど、なんでそれが名古屋なのか、一切わかんないままきたんですけど、なんかあるんだろうなあ〜と思って。」と話し、リハとは丸っきり違うセットで40分やってくれたのはかなり痺れました。そしてその2組とHue'sでそれなりにグチャグチャな打ち上げまでやれるとは思いもしておらずで。帰り際に「こんな打ち上げになるとは思いませんでしたわすんません!こういう場にあんまり居ないですよね...?」と加藤くんに謝罪すると「いないっすね〜、でもイケるんですよこっち側も!」と良いテンションで返してくれてこれまた痺れた。かなりかっちょいい兄貴ができて嬉しい限りの名古屋公演を無事終えました。全体的にふわふわしたままだったことは本当に申し訳ないが...。

 

そして明日に迫った東京編。mabuta、去年は金継ぎ辺りから毎月のように会っていたのですごーく久しぶりな気がするし今の形になってからライブを見るのは初めてである。ライブの本数が以前に比べて減っているので「何もない毎日すぎて頭がおかしくなりそうだよ!」と悲鳴をあげていた舜平。俺たち3ヶ月程会ってなかった間に色々あったことでしょう。今回みたいなツアーにmabutaがいてくれることがどれだけ心強いことか。そしてもう1バンドがBUGY CRAXONEだということはもう俺にとってヤバいでしかないのです。知ってる人がちょこちょこいるもののライブを見たことがない人が周りには多くて、どういうバンドなのか説明するのも煩わしいくらいに拓けていてパンキッシュで、突き抜けているバンドなんです。先日ファンダンゴでワンマンを見てきましたが、流した涙の量で順位をつけられるとしたら間違いなく1位のライブでした。クラッシュをもちろん見たことがないけれど...こんなライブをしてたんやろうな...と思えるくらいに。Hue'sやmabutaのことが好きで見にきてくれている人たちこそ、知らない人が多いかもしれないですがどうか気持ちよく響いて欲しいなと信じてる次第です。黄色くて力強い1日を想像しています。蓋を開けてみればこれがどう覆されるのかも非常に楽しみであります。ツアー東京編、よろしくお願いします。

 

 

f:id:akrmuff:20240329001918p:image

f:id:akrmuff:20240329001935j:image

f:id:akrmuff:20240329002003j:image

 

 

新宿の空に放った金継ぎ

助手席には舜平で後部座席に裕人。真横には龍。...??あぁ、mabutaの車で寝てた。所々の記憶と右の靴下は無いし最後がどうなったか全くわからない。真横にはHue'sの車も停まっている。起きはしたが大量のハテナを前に虚無になっている俺を見て「あっちではみずやんとゆうすけが寝てるよ〜」と舜平が。余計わからん。日付が変わる頃にナインスパイスを出てから二手に分かれ、場を3度か4度ほど移しながら合流して分裂して も3度か4度ほどやりどれほど飲んだのかもあんまり覚えてない。

 

mabutaとHue'sだけがライブをする時間がようやく流れた。あと1回やってくる。今言えることはたったひとつしかなくて、もっとはやくやるべきだった。この2バンドで過ごしてきた時間を越えれるものは本当になかった。純度だけを守ってきた意味がようやく形になった気がして嬉しかったし何ひとつ取り溢さず全て受け止めるぞという気概をフロアにいるお客さんたちからヒシヒシと感じた。俺たちの関係性、もしかしたらあなたたちが1番知っていたかもな。あとはもっと互いに砕けることができればーーーと思ってしまったがそれはファンダンゴでやればいいだけか。10月13日だけでも十二分に、予期せぬことがたくさんあった。

リハを終えてオープンスタートまでの時間、落ち着かないのを互いに隠していた気がする。それでも時間はフラットに過ぎてくれるので裕人の坊主にジャージにSG似合うのがやばいな〜とかヘラヘラ笑っていれば定刻を5分過ぎた。見届けるだけなのに、胸が痛いのか熱いのか。龍旭水の3人だけになった楽屋。扉が開いて目をやると佇むカワノともりかず。どれだけ時空を歪めるんだ今日という日は。「おかえり。音源やばいなあれ良すぎるよ」「元気してた?痩せた?生きててよかったわきてくれてありがとうよ」ふわふわしたままどうにも着地させれない心を2人と話していると不思議と気持ちがシャキッとした。誰もが思っている以上に2人とも同じ"人"して在る。分かり合えない時間を送ってしまうこともあったけど今はもう、いてくれてありがとうしか残っていない。話しているとmabutaのライブがPeakyまで終わっちまった。2人もmabuta見ようぜと楽屋を出て黄金の厚みを放たれ続けるフロアへ。今日も今日とてすごく良かった。あそこの繋ぎとかどうなん?テンポ感悪くない?とかそろそろ言ってみたいものよ。俺はもう彼ら4人とそやまさんとルシオを愛しすぎてしまったので客観視できない。

我々のライブはいつも通り自由に滑空/遊泳/大気圏突破な気持ちでやらせていただいた。30分ステージよりも短く感じたのが不思議でしょうがなかったが目の前にいてくれる人たちとmabutaのことを想いながらやるとそりゃそうで、いつもこういう心持ちでできればそれ以上のことはないだろう。既存曲の細かいアレンジや空気が日に日に変わっていき、ナインスパイスでもその姿を見て頂けたことでしょう。まだまだ良い形にできる曲が無数にあるので続々と解放していきたい。アンコールを頂けた日は"最後に無理やりLukaを捩じ込んで凄まじい速度でプレイし急に終わる"を幾度となくやってきたがこの日ばかりはなんか、今思えば違うかったかもしれない...しかし、またきっとやってしまうのだ。俺たちは。

終演してからはゆっくり話したい人が沢山いたものの特に何をするわけでもないのにバタバタしていたらあっという間にmabutaと俺たちだけ。東京に行き始めた頃よく見に来てくれていた人や最近知って遊びに来てくれた人、ずっと昔から俺たちを愛してくれている緒環さんや直接話す機会は多くはなくともずっと気にかけてくれているタクヤさん、mabutaで何度がギター弾いた時に見てくれていた友達。挙げると本当にキリがない。みんなとゆっくり話したかったが、Hue'sとmabutaの形ある限りまたみんな集まるのだ。我々の全てが交差する瞬間を残りの人生で必ず刻んでいきたい。金継ぎを届けたい人がまだまだいる。ヒビが入ればやることは決まっている。

f:id:akrmuff:20231017225208j:image

 

ひと段落してからナインスパイスで一度乾杯。もういよいよ2バンドとルリコしかいない。ライブハウスでこうなることは中々ないが幾度となく外でこれやってきたので打ち上げどうするか〜と話していると「トー横で飲みてえなあ!」とデカデカと旗をあげるやつがいた。打ち上げというのは強い意志で何かを打ち出したやつに着いていきたくなるもので、そうともなれば凄まじい機材量の2バンドではあるが高速で搬出を終えて車を再びパーキングに入れていざトー横へ。カオス極まりなかった。俺の記憶は早々にない。iPhoneの写真フォルダを見返す限り、23時半頃にナインスパイスを出て0時半にはトー横で歩きながら飲んだり店で飲んだりして2時前には全員1度合流し退店している。この時点で俺の記憶はない。2:47のルリコ裕人舜平みずやんの写真を撮って、次はもう10:21舜平と行った日高屋のストーリーが残っている。俺たちが新宿を出たのは確か13時を過ぎた頃。根来は始発の新幹線に乗って帰っていた為彼は8時には家に着いている。ちなみに俺が家に着いたのは23時である。6年以上の付き合いになってもまだ打ち上げが加速し続けるとは思わなかった。これファンダンゴはどうなる?みずやん曰く、誰かが海に飛び込むとこまでいくらしい。俺たちの求める自由が一体なんなのか皆確かめに来てほしい。堺の海辺にドンと構えるファンダンゴの呼吸に身を委ね気持ちの良い音放ちますのでね。

 

ご機嫌に打ち上げていた様子をルリコが残してくれた。何故だか泣けるし笑える。靴下は返してくれ。

f:id:akrmuff:20231017225312j:image
f:id:akrmuff:20231017225304j:image
f:id:akrmuff:20231017225337j:image
f:id:akrmuff:20231017225334j:image
f:id:akrmuff:20231017225355j:image
f:id:akrmuff:20231017225323j:image
f:id:akrmuff:20231017225347j:image
f:id:akrmuff:20231017225330j:image
f:id:akrmuff:20231017225308j:image
f:id:akrmuff:20231017225340j:image
f:id:akrmuff:20231017225359j:image
f:id:akrmuff:20231017225404j:image
f:id:akrmuff:20231017225344j:image
f:id:akrmuff:20231017225410j:image
f:id:akrmuff:20231017225326j:image
f:id:akrmuff:20231017225320j:image
f:id:akrmuff:20231017225416j:image
f:id:akrmuff:20231017225316j:image
f:id:akrmuff:20231017225351j:image

取り下げ願いあったら言ってくれみんな!

 

 

of heaven

頭の中がスカスカになっていく。呼んでいただければチャリ漕ぐか電車乗って、帰る手段がなくなれば射場ちゃんの家にお邪魔する。そんな日々の中にやりたくてやらせてもらってるいわゆる仕事や、やりたくてしょうがないライブやスタジオがあると大きな弧を描いた力に引き戻されて今までとは明らかに違う一撃を放つことができている。確かな感覚がある。思い出してふらふらしてるって歌詞、なんかあったな。

f:id:akrmuff:20230926200840j:image

 

月に2回Fireloopに出るということは我々とハコ側の関係性がまた変わってきたような気がする。かつてはそのペースで出続けていて、ライブをし安安での打ち上げが終われば俺と龍やその場にいるが意識はいないやつはみずやんちに行き、始発が来れば帰る者もいればずっと居るやつもいた。最終的にいつも俺と龍とみずやんの3人になっていて泥の身体のまま王将に行き吐きそうになりながら食べきって何故かFireloopに戻り階段降りたとこでダラダラして「あんたらまだおったん?」と言われヘラヘラしていた。そんな日々があった。ただのズブズブだった。それらをやーっと何周も回って呼ばれれば出るし、何故出るかというと、ようやくFireloopで自分たちの納得の行くライブができるようになった というのがかなり大きい。しばらくの間Fireloopでの演奏がどこでやるよりも難しかった。何故かを考えるのもアリだったが今までにない場所からのお誘いがありがたいことに多かったのでそちらを選び、全国を周り、凝り固まったHue's像を一度オーバーホールすることにした。決しては多くはなかったけれど岡山や静岡、そして金沢がくれたモノはあまりにも大きく優しい塊で、我々が各地で痺れたポイントを足立さんや野中に伝えれば真っ直ぐ受け止めてくれたしお二方の意図ももちろん真っ直ぐ聴いて、じゃああとは演奏するだけ。というわけでモガリ村ありがとうございました。我々が組んだイベントでなくとも当たり前にやることは変わらないし演者もほとんど顔見知りな上にスタッフも全員知ってる。受付は松川さんでバーカンはなかじ、PA野中/照明安井の鉄壁タッグ。安井くんの照明はライブしながら笑ってしまうくらいにキメてくるし、野中のテンションをこちらが上げきることが出来れば凄まじい爆音を地下に響かせてくれる。たまに、中音より外音の方が速く耳に入り笑ってしまうことがある。

終演後は遊びに来ていたイルくんとゆっくり。最近の話を沢山聞かせてくれて今ようやく「2人絶対合うから酒か珈琲飲みに行ってみてほしい」と度々龍が言っていたことのワケがわかった。どシラフとベロベロ、どちらでも楽しみきれるものって世には案外少ない。それの数を増やしていくだけである。我々は。"フラット"や"差別のない"とかではなく"フェア"という言葉が最もしっくりくる最近。

 

最近またブルースブレイカーを使い始めた。2104の調子がどうも悪く、スタジオに置きっぱなしにしていたBBを引っ張り出してボリューム10にしたら全部解決したので。アンプのキャラを100まで出してやるとトータルした時のギターやエフェクターのパーセンテージが大きく変わってきて遊びが増える。なのでSGを持ってステージに上がってみた。なるほど、そういうことか。腑に落ちる部分があまりに多く根來のバスドラムに意識を全集中しているとあっという間に最後のI LOVE YOUだった。音像と音程ってこんなにも違う関係だなんて思いもしなかった。ジャズマスターは音像がかなり速くそれを占める面積も大きい。SGは音程がかなり速く追うかのように後から音像がやってくる。ブラストカルトはまたギターとは別の楽器のような空気感で最もしっくりくるが未だに掴み切れない。といった印象。Vibrolaが付いてることによって謎の鳴りではあるもののSGはSG然と大前提として存在して弾く前に鳴る ほどの速度で飛んでいく。歪んではあるもののクリーンのコリッとした部分は居る。BBが教えてくれることはまだまだあるようなのでしばらく頼ってみることにした。

f:id:akrmuff:20230927031327j:image

Transit My YouthモリノくんのBBと記念撮影。次から対バンになった時はお互い2段積みでやろなと約束した。にしてもいい写真すぎる。

hellout

f:id:akrmuff:20230916155053j:image

 

1

この日のライブ音源や映像を毎日のように見ている。ようやく自由になれたHue'sを見るのはシラフでもベロベロでも単純に楽しい。ライブ後は機材をすぐ出さなければならんかったのでバタバタしていた故、今日初めてライブハウスに来ました! とか テープエコーの実機を使ってると友達に聴いて見に来ました本当に使ってて音も良くて感動しました というおもしろすぎるしありがたすぎるお客さんたちとゆっくり話せず。ごめんね。またいつでもきておくれね。みずやんとあまりに陽気すぎるteamCEDARWOODを連れ搬出。諸々の用事を終えてからは再びFireloopに戻り腰据え打ち上げ。家に帰ったのは5時とかだった気がする。

 

2

RUSH BALLに行っている荒木から「Twitterでチケット探せば安くあるよ!」と連絡がきたので調べてみるとわずか¥2,000で手に入れることができた。尾崎で風呂って飯って即出ようとしたが流石にカラダ動かず一瞬寝る。起きて泉大津に急ぐと荒木が電チャリと大量の凍ったポカリを用意して待っていてくれた。これまた大急ぎでフェニックスに走り懐かしのバンドたちを見る。陽が落ちてきた時間にスーッと吹く心地いい風、デカく清らかではあるが絶対的な強度を持ったテナーのサウンド。高校1年の時最初に組んだバンドで最初に演った曲はストレイテナーのREMINDERだった。この日に至るまで1度も見てこなかったことを少し後悔したがここまで温めたのも良かったのかも とさえも思わせてくれる全て包み込み天高く昇華させるライブ。あまりに強く優しくて少し泣いてしまったよ。本当に俺たちみたいなライブをしていた。希望だった。昼過ぎについて数バンド見て、テナーを見終えた時には心が満たされきっていたし空っぽでもあったので荒木と2人で退場。金色の光の中2人でアイスコーヒーとお茶飲んで煙草吸って互いに帰宅。車を取りにまた尾崎へ行き、あびこに戻ってからはyukoと丸亀食って終えた。嘘みたいな1日だった。

f:id:akrmuff:20230916155125j:image
f:id:akrmuff:20230916155129j:image


3

前々から甲來さんと話していたインストアライブをついにやってみる日。連日の遊びっぷりのおかげか中々起きれなかったが10時になんとか目を覚まして車乗り込み中崎町へ。店に着いたらちょうどあっきーさんもチャリでやってきた。いつ頃からか、週2くらいのペースで会うようになった人たち。お店を構えていてくれてるといつでも会いに行けるからいいなと思う。2階で機材をザッと広げセッティングを終えて下に降りるとらてちゃんもいた。「最近お店に全員揃うのあります?」「いやーすげえ久々ですね。レアです」今から1人でギター弾くんか〜と他人事のようにヘラヘラしながら甲來さんがとってくれたお弁当を皆で頂き、珈琲飲んで煙草吸っていざ、やりますか。甲來さんがずっと磨いてくれてピカピカになった靴を履き、かなりイケてるジャケットを着せてもらい、袖をいい具合にらてちゃんに折ってもらい着席。実感も何もないままに家やスタジオで永遠にやってることをやってみた。楽しくはあったがもっとおもしろく遊ぶ方法いくらでもあったな〜と考えれることもたくさんあったのでやれてよかったそれに尽きる。CEDARWOODの方々は本当に心地いいです...!!と言ってくれたし。2時間弱の宇宙との交信を終えて夕方には帰宅。この日は早いうちにぐっすり寝た気がする。

f:id:akrmuff:20230916155250j:image

 

4~5

工房での仕事終わり、真っ直ぐ帰るのも違う気がしたので射場ちゃん呼び出してAlffo Recordsで5杯ほど。面白い出会いもまたあった。シンゴとなぎちゃんに呼ばれたので終電で深井まで行き朝までカラオケ。ここでもめちゃくちゃ飲んだし歌いまくった。何度かの気絶して「閉店です」で目を覚ますとシンゴはもういなかったが机にはお金は置いてあった。ナギちゃんも爆睡していたので起こし退店。青白くどす黒い空の下煙草吸ってじゃあまたの。3時間ほど寝て俺はスタジオへ。龍は所用でいなかったがまさかの根來ダウン(二日酔い...!?)により、遅刻して行った俺が防音扉を開いた先にはみずやんしかいなかった。2人で顔を見合わせ大量のハテナが数秒浮かんだが2人でもやれることはあるのでそれらをやり、終了。二日酔いからくる空腹を捩じ伏せたかったのでみずやんと豚山に行き冷やし中華を喰らい瀕死になる俺。流石に帰ってからは爆睡。

f:id:akrmuff:20230916155431j:image

f:id:akrmuff:20230916155311j:image

 

6

半日は工房で仕事のちに高野がうちに来てギターとペダルを片っ端から試したり、最近の互いのバンド事情を話したり。1時か2時くらいに帰っていった。

 

7~8

3日インストアライブの打ち上げをしましょう!とのことで甲來さんと映像を撮ってくれたKCRで飲みに。KCRとは以前いつかの果て先で飲んでいたが俺はあんまり覚えてない。記憶の回収とかをしたり3人のルーツたるものをかなり高めの熱量で話していると簡単に夜が明けた。集合したのは20時で最後の店を出たのは6時とか?よく飲んだ。5、6軒行った気がする。いつもありがとうございます が過ぎます甲來さん。彼らの遊び方に混ぜてもらえて、それがひたすらやばくて(知らなかったりやったことのないことは概ねやばい)ずっと爆笑することしかできなかったので次はもっと没頭したい。没頭することは何事においても大事である。余裕で電車動いてるのに甲來さんの家に行き2時間寝てからギターを取りに帰って十三へ。試したいことが尽きないのでスタジオへは当たり前だが絶対に行きたい。休まんぞ俺は。練習を終えてからは龍とスタジオで飲みまくり、そういえばベルトが欲しいと言った龍をCEDARWOODに連れて行きKCRもまだいて4人で1杯飲みラーメン食べて解散。甲來さんたちに、頭が上がる日はくるのでしょうか。

f:id:akrmuff:20230916155811j:image

 

9

流石の流石にカラダが強制シャットダウン。18時間程寝て射場ちゃんからの連絡で再起動。無鉄砲を食いに行きおくまん(何故か阿波座らへんまでいった)で適当に飲み射場宅へ。4時ごろ2人して気絶。

 

10

昼過ぎに起きて一度帰宅。少しゆっくりしてからエクソダスで射場ちゃんと合流し爆うまいマッサマンカレーを喰らい復活。店を出ようとするもゲリラ豪雨直撃によりとりあえず2人で1杯飲む。ここのご飯はどれも上手いが酒ももちろんうまい。この日はラムコーヒーを。ちょうど良い時間潰しを経て0gへ。店前にいたセイジさんが「ちょっと飲みに行こう」と近くの居酒屋へ。セイジさんと射場ちゃんの化学反応が起きまくっており俺は笑いっぱなし。結局飲みまくり、0gでも飲み、フードであったタコスを食いまくりセイジさんのイケすぎているDJに身を委ね煙草を吸いまくり。

f:id:akrmuff:20230916155857j:image
f:id:akrmuff:20230916155853j:image

 

11

やばすぎる二日酔いを抱えながらもなんとか仕事終了。Wilcoの来日をyukoからの連絡で知りようやく吹き飛ぶ二日酔い。変なテンションになり10km走る。

 

12

よく働き、尾崎に帰り力尽きて爆睡。

 

13

あまりに寝過ぎてやることをなにもやれぬまま謎に車で出勤。ちょっと働いてから西尾さんと飲みに堺東へ。世間一般 的には尖ってると捉えられてしまう俺の話を全て笑いながら受け入れ新たな思考法を教えてくれる西尾さんは結構神である。ディープでドープな立ち飲み屋も教えてくれた。非常に救われた日。

f:id:akrmuff:20230916155914j:image

 

14

半日働き高早さんにめちゃ美味しいうどんをご馳走してもらい、機材を取りに十三に行ってからはビルボード。車だったのでノンアルコールだったが吹き飛んだ脳。1部と2部の間で時間潰しに適当に入った牡蠣バーで大量の牡蠣と濃厚パスタをあり得ない速度で摂取したのも非常に良かった。良い音良い飯良い空気。脳は常々開いていたいもんよ本当に。こう在りたい。

f:id:akrmuff:20230916155925j:image

 

15

7時過ぎ起床。みずやん→龍といつもの順で迎えに行き高速乗り草津パーキングで煙草を吸ってると"名古屋方面"と書かれたダンボールを持った少年が通りがかった。「あり?」「ええよ」「刈谷ぐらいまでいったろや」で声をかけて少年を拾った。みずやんの言う通り刈谷ぐらいまで行きたかったがこの日の俺たちの目的地は甲賀だったので甲南PAまで。なんとか北海道までがんばれな19才の少年よ。大きな夢を語ってくれてありがとう。この後は例の如く、人の手が行き届いていない山奥へ行き遭難したり汗だくになったり笑えないけどどうしても爆笑してしまう我々の良いのか悪いのかわからないことをやりまくり22時頃帰宅。

f:id:akrmuff:20230916161307j:image

ディス ストゥーピッド ワールド

全てを飛び京都のロームシアターかGROWLYに行くか本気で迷ったが全てを捨てFireloopでライブをした。アンコール含め1時間以上やらせてもらいました本当にいつもありがとうと申し訳ねえですファイヤーループ。周年ということでやるならとことん な。どうすれば良くなるかを考え続けるのは疲れちゃうけれど何をしたら良くないのかという思考にシフトすれば答えは至ってシンプルなものしか残っとらんので話が本当に疾く非常によろしい。この目で見て揺れた心しか信じることができんので地でやり続けていくしかねえなと思う次第。もちろん、それでオッケー。今日も色んな人が見に来てくれて会いに来てくれてゆっくりとは言わずとも話せてただ 良かったに尽きる。最近は多方面から俺のギターが良すぎるとお褒めの言葉を頂いて嬉しい限り。ではあるが、狙いたいポイントは無限に溢れてくるのでまだまだ良くなるよ。ずっと追い求めていた爆音のクリーンをようやく手に入れたので。

どうしても転換〜終演後の会場BGMとしてYO LA TENGOのThis Stupid Worldを流していたかったのでFireloop行く前に家から1番近いタワレコでなんとか手に入れ無事再生。来てくれた人たちの耳にはきっと入っていたことでしょう。あれがヨラテンゴです。

 

f:id:akrmuff:20230902082301j:image

Kintsugi

2018年7月17日(火) 渋谷 乙

この日がなけりゃ俺たちは何もなかったかもしれない。色々いい感じになってきたし東京でライブしてみてえなとFireloop安井くんにお願いし数本組んでもらった。初めての遠征、ソウルフードにはハイエースまでお借りしてごとくも呼び出し計6人とありったけの機材を載せて東京を目指した。初めての新東名。この頃はずっと夜走りで日が昇り始めた刈谷辺りごとくに運転を代わり寝て起きたら渋谷にいた。渋谷乙の前は一方通行な上に凄まじく狭い道。後ろから車がきたら詰む。これが東京における搬入か...と覚悟を決め1分決死の路駐をかましなんとか完了。乙、俺が大好きな9mm Parabellum Bulletがずっと昔やりまくっていたハコか〜とアイスコーヒー/IQOSをやりながら無理やり目を覚ます。リハを終えてからオープンまでは龍がエフェクターかアンプが欲しいと言うのでイケベ楽器に行ったりして時間を潰していた。この日はCRYAMYに出会った日でもあり、確か1番手か2番手で彼らは彼らで凄まじいノイズ/叫びを放ち続けていて最前列ではヤマトくんと石左くんがゲラゲラ笑いながら盛り上がってるのが異様だった。勝手の分からぬ東京にソワつきながらIQOS吸いまくって落ち着こうと何度も繰り返していたけど急に心奪われるものがあった。メロディーとリズムのハマり方が知ってるようで知らないそれを彩るコード感、俺みたいに落ち着きのないぐちゃぐちゃなギタリスト、音デカくてうるさいけど爆発する瞬間と守る瞬間の速度が笑ってしまうくらい全員同じ、誰か歌ってそうで歌ってない言葉、見た目とは裏腹に繊細で綺麗なコーラスワークス、バンドのエンジンだということを自覚していないとあり得ない太鼓の鳴らし方、こういくらでも書けてしまうくらい良かった。けどこの頃の俺はとにかく尖っていて自分と自分たち以外には興味なかった。悔しいでもなく嬉しいわけでもなく感じたことのない気持ちを抱えたままとりあえずHue'sのライブをこなして、トリのバンドも終わってからごとくと2人で煙草をふかしていた。とりあえず乾杯するとのことでバーカンに並んでいると声をかけられた。「めっちゃかっこよかったよ!ギターいいね!俺ら同い年らしいよ!」「あぁ、ありがとう。」その一言で終わらせた俺は本当にどうしようもない。こいつのことを もう どうやっても表しきれない程に愛することになるなんて22才の大島旭が知る由もない。日付が変わって1時ぐらいに搬出して我々は吉祥寺に向かった。翌日はWARPでライブだった。

 

2018年7月18日(水) 吉祥寺WARP

吉祥寺の適当なPで車中泊。異様な暑さで10時頃起床。各々入りまで時間を潰す。井の頭公園まで歩いてみたりココナッツレコードやディスクユニオンで何枚か適当に買ったり、家系を食ったりしてやり過ごした記憶がある。今となんも変わらんね。これ以上暇潰せねえなということで15時頃、少し早いがWARPに行ってみると既に彼らは楽屋にいた。熱っぽく体調が悪いドラムのやつを横に高めの熱量で揉めてるデカいメガネとマッシュスキニー、あわあわしているあいつ。「昨日ぶりだね」とだけ話しそれ以降は何もなくオープン、スタートまで。弾き語り2組とバンド2組という今考えると異様すぎる平日ブッキングに戸惑いながらもまた煙草を吸いながらやり過ごしてた。弾き語り2組のライブが終わり(その1人はなんと緒環さんであるが覚えてないすまへん!)ようやくでっかい音が鳴った。入り口でバンド名と名前を伝えチケット代を払いフロアに立っている人は多分5人もいなかったと思う。それでもでっかい音が鳴れば、そしてその音が良ければ人の心は動く。流石に2日連続見れば曲も覚えてる。覚えれるぐらいには爆音ではあるが歌詞もメロもよく飛んでいて何よりも透き通っていた。もう完全に心は持っていかれた。でも素直に話せない自分がいた。打ち上げではWARPきょんきょんさん、Fireloop安井くん、Hue's、彼ら、緒環さんという今考えれば全然有り得るしかなりの神回になるであろうメンツで長机を適当に囲み、ようやくしっかりと腰を据えて話した。が、誰もが緒環さんの稲川淳二トークが面白すぎて完全に持っていかれた。着々と酔っ払っていく面々。ふとした時あいつがまた急に声をかけてきた。「足元見せてよ!あとあのアンプの横に置いてるデカいやつなに?」「歪みばっかよ!あれはパワーコンディショナーって言って電源安定機?みたいなやつ!」機材の事を聴かれると素直になれなかった俺もスラスラと話せるようになった。日付が変わる頃だろうか、彼らは洞くつ屋行って締めようぜ!と言い始めた。それに何故かブチギレる安井を置いて彼らについていった。ここで知ったのだ洞くつ屋も。確か互いにドラマー以外はみんないた気がする。やけに落ち着く時間だった。全員同い年で、"誰も聴いてねえだろこんなかっけえバンド"もいくつか重なったし、なんと言ってもパワーとしなやかさのバランスがとても近かった。全てにおいて。きっとまたすぐ会うだろうじゃあまた気をつけて!と俺らはソウルフードハイエースに乗って、彼らはデカいメガネのステップワゴンに乗って解散した。そうやって俺たちは出会った。

それ以来、彼らがFireloopにライブしにくるとなれば打ち上げにのみ乱入したり、Hue'sが東へ行くタイミングで彼らは西に行くとなれば間の浜名湖SAで一度合流して煙草だけ吸ってじゃあまた とか、4ヶ月連続個人企画をした時には龍が彼らを誘ったり、もう挙げ始めるとキリがない。俺にとって1番印象的だったのは名古屋のサーキットの時に彼らもいて楽しみだな〜とワクワクしていると前日にマッシュのスキニーから電話がかかってきた。「あいつがインフルになっちゃってさ、明日来れないからギター弾いてくんない?」と頼まれた。人生で初めてのサポートギターである。当日は酷く緊張したがもうただの好きなバンドになっていたので曲はもちろん全曲知ってるしライブにおけるピークの持っていき方も知っていて気持ち良かった。それ以降5回?ぐらい彼らのステージを共にさせてもらった。

楽しい記憶だけでは収まりがきかず我々は共に失ってきた。何度もいろんな人と出会ってきたけれど失ってしまったものはあまりに大きく尊いものだった。前触れなんかない。彼らからの急な電話というのはほとんどがハッピーなものではない。未だにあの報せを受けた時のことをはっきりと覚えてる。事務所で物販のTシャツを畳んでいる時にデカいメガネからの着信。「あきら聞いた?」「いや、なんの?どれ?」話を聞いても全然ピンとこず、実感もないままだったのでヘラヘラするしかなかった。そうやってその場にいた当時のマネージャーと龍とみずやんにも伝えた。それ以降定期的に連絡がくるようになった。「この日ギター弾いてくれない?」「もちろんやるべ」あいつの代わりは俺しかいないという自負は大いにあったけれど気持ちが追いつかなかった。どうすればいいかずっとわからなかった。お互いバンドは非常に良い感じだった。イメージの延長線上にしっかりあった。それでもいなくなった。俺たちがAmbi-Waveを出した時に東京でのレコ発を彼らの力を借りて組んだ。複雑すぎる気持ちのままごとくの運転する車に乗って吉祥寺に向かった。よく晴れて空の広い日だった。1番後ろでぐっすり眠れてトランクが開く音で目が覚めた。もうWARPの前にいた。とりあえず機材を入れ始めるとヘラヘラ笑うあいつがいた。もう嬉しくてしょうがなかった。ライブも1番前で嬉しそうに見てくれた。俺らが終われば、始まるあいつらのライブ。俺以外にサポートを受け持っていた人はあと2人いて、そのうちの1人が正式サポートになりなんとかこなしていた。複雑すぎる心持ちではあったが良かった。彼らは続くと確信を得れた。問題はアンコールである。見覚えしかない4人がステージにいた。2曲やった。友達のライブで初めて涙が止まらなくなりハイネケンもいつのまにか空っぽ。心かのように。あっという間に終わってしまって呆然と立ち尽くしていると「旭?あんたが旭か?」と声をかけられた。大量のハテナが頭に浮かんでいたけれど「あいつのおかんよ!」と言われまた泣いてしまった。あいつのせいで俺は何故こんなに涙を流す人生を歩まなきゃならんのだ。その後は心が崩壊して飲みまくり意識を取り戻した時には板橋区にいた。携帯を見ると大量の着信。すまん生きてるとだけ返信してもう一度気絶した。この後も何度かこういう夜があった。サポートの彼とも着実に距離を縮めることができて、何度も共に飲み今がある。本当に良かったしありがたい。嬉しい。

俺たちにも失う瞬間があった。名古屋/下北沢と2日連続での遠征にある1人は来なかった。この時ばかりはHue'sの存続が危ぶまれた。もう無理だと思った。来ないとは言え残る俺たちが行かない選択肢はないだろうということでとりあえず向かいはした。名古屋では「1曲だけでもええからバンドでやりたい。」と言う龍。サーキットのタイムテーブルを見て1人だけ叩いてくれそうな人がいた。それが根来真嗣だった。道中に電話してみるとあっさりオッケー。名古屋のPでシンバルを全て持って現れた。「んまぁ、せっかくやしな〜」彼の異常性。褒めている。4曲程龍の弾き語りでSwanを龍と俺2人でやり、最後Youthだけは根来真嗣に叩いてもらってやった。感謝を述べ、その後はずっと車で寝ていた気がする。夜が明ける前に東京を目指し走った。後ろで爆睡する龍。助手席にはみずやん。浜松あたりでカーステがぶっ壊れて2人で爆笑した。ギリギリまだ俺たちは笑えた。下北沢でのライブは全て龍の弾き語りでいくことにした。まるで解散ライブかのようなMCをしていてグッとくる、わけでもないが、「まだ終わらんけどな」と強く想えた。この日の打ち上げは壮絶だった。俺たちに関係する全ての東京のバンドが心配して会いにきてくれた。その中にもちろん彼らもいた。

互いに人が変わり音楽の形が変わってもずっと1番近くにいた。会いたければ会う。それが簡単に叶う関係。彼らのおかげでルリコにも出会えたし他にも色んな人と打ち解けることができた。何よりも、今の俺の生活が存在するのは確実に彼らの力であった。カイシュウと直也も交えて奈良でキャンプもやった。そのまま翌日Fireloopでライブをしたけどめちゃくちゃ楽しかったな。

最近で言うと、あらゆることが重なりHue'sというモノが皆それぞれ重く鈍いものになってしまっていた時期がある。知らないふりをしてやり過ごすしかない と無理やり思って逃げていたがまたすごいタイミングなもので、ANIMAで彼らと対バンだった。打ち上げはなかったものの話足りない我々は三角公園に場を移し飲んでいた。俺たちの空気に痺れを切らした2人が「ちゃんと思ってること話せよお前ら!」とキレるわけではないが真っ当に突っ込んでくれた。そこでようやく目が覚めた。借りばかりが増えていく。その時ベロベロに成り尽くした裕人が「俺たちはもう最高なんだから!失敗したいよね!お互いダメだったな〜って日ないじゃん?なにしたらそうなるのか!失敗しようぜ〜」と何度も言っていたのを今も深く覚えてる。

書き出したら止まらなくなってしまう。ということで出会ってから5年経った今ようやくツーマンすることにしました。わかりやすい経緯を書くと、去年FANDANGOの周年としてmabutaがそこでワンマンをやった。もちろんHue's全員見に行った。最高の日だった。盛り上がり続ける打ち上げで誰もが「来年はmabutaとHue'sのツーマンやな〜!」と口を揃えて言っていた。それを真に受け止めまくった俺たちは何度もmabutaとFANDANGOに確認した。どちらもふわふわし過ぎていたけど6月頃?ようやく本当に決まった。となれば、せっかくだし東京でもやるやろ と提案。すんなりオッケー。ライブハウスで丸1日この2組しかいないって当たり前だが今まで一度もなかったので予測がつきません。特にフロアの空気。まぁどうなろうとも良い音楽が鳴るのは間違いない。俺らの信念はすごいよ。クロスフェードする瞬間を見届けて欲しい。ようやくやれる。確かな光を信じて音鳴らすそれだけ。

f:id:akrmuff:20230831100248p:image

f:id:akrmuff:20230831021431j:image
f:id:akrmuff:20230831021448j:image
f:id:akrmuff:20230831021428j:image
f:id:akrmuff:20230831021435j:image
f:id:akrmuff:20230831021441j:image
f:id:akrmuff:20230831021445j:image
f:id:akrmuff:20230831021438j:image

 

BlastCultの持つ魔力

ようやく遠征における流れを上手いことこなせるようになってきた我々。洞くつ屋めがけ集合出発。4時起床。

新東名を走ってる間はよく天気が荒れる。吉祥寺に着いてから何度もゲリラ豪雨を喰らった。ルリコと合流し一先ず洞くつ屋へ。大阪には心の底から美味いと思える家系が非常に少ないので東を羨ましく思う。およそ3,4年振り?の洞くつ屋になるひゅめんは言葉を失いながら完食。マジで美味かった。そういえば根来真嗣は何も言ってなかったけど美味かったんかな?

入りしてリハしてからは凄まじい眠気にやられずっと寝ていた。この日はFireloop我らの安井に頼み組んでもらった。去年は毎月のように東京へ足を運びライブしその日のうちに帰って を繰り返していたがさすが疲れ果てた俺たちは一度勢いを止めた。色々が仕上がってきた今着々と定期的に行きたいなとまた思えるようになったのでFireloopで安井たちと飲んでいた時にフラッと話してみたら組むわ!と翌日には日程を決め誰とやりたいかも話し動き始める。そういうあれで決まった8/22 吉祥寺WARP。仕事が速くて本当に助かる。

最近は体力が持つ限り対バンは全て見る。Carpenter'sBlueはカラッとしたリズムの中に水飛沫みたいな煌めきがあって、東のバンドらしいな良いなと思えた。俺たちならあの感じで倍の間奏で倍のイントロで最後に全員でマフを踏んでしまう。ああいう音楽をやっている人たちはあまりMCをしっかりしないが打って変わって話しまくっていた。それも良かった。次は付き合いの長くなったHammer Head Sharkで、見るたびに陰と陽のバランスが気持ちいい塩梅になってきてるしフジモトくんは本当にわかってる(こんな言い方してすません)ギターを弾いてくれて良いわ〜といった感じである。ひょんなことから、ライブ後半ひゆちゃんはBlastCultを使ってやってくれた(最近ジャズマスの1弦がよく切れるのでサブで持っていってる)。このギターはblondy高野や ザ・みゅ〜ちゃみこがライブで使ってくれて皆それぞれ感想が違うから面白い。ひゆちゃんももちろん違ったがそれよりも、桁違いにBlastCultが似合っていて音も「まだそんなに優しく柔らかいのにイカつい音出せたんかお前は」と新たな一面を見せてくれた。めちゃ軽いしいいな〜と言ってくれたので俺が死んだらあげるね と返答した。割と本気。またすぐに彼女たちとはやりたい。ニャホは出番直前故あまりしっかり見れなかったがaoniとは全く違う一面を知れた。あんなこともできるのな。あの頃の邦ロックが凝縮されていた。

我々のライブはというと、最近の流れを汲みつつもしっかり壊すをやれてヒジョーに爽快だった。中音の響きが1番気持ちいいところを見つけてからはそこに棒立ちでずっとギターを弾いていた。ブルースブレイカーの歪みもなにもかもが調子いい。頂いたアンコール、なにをやるのだろうと構えていると龍が一瞬だけ6弦解放を鳴らした。Dだった。最近ステージで鳴らせてないしひゆちゃんに感化されたのもあってBlastCultに持ち替えチューニングをDropDにしALMAでpray。2022年は生まれ変わり続けるALMAにこの身を委ね何度も自由を滑空させてもらった。今年に入ってからも何度も頼り、生まれ変わりを繰り返していたが中々納得のALMAを体現できずで悶々としていた。だがようやく渾身のALMAを出すことができた。全てを曲に奉仕できていると一瞬のようで永遠に感じる。この日の最後にALMAを選んだ龍、そしてひゆちゃんに感謝である。ライブで曲ごとにギターを持ち替えるのは絶対無し派だったが揺れはじめた。そもそも曲への奉仕というのはそれが全てかもしれない。

翌日も予定を抱えている我々や安井くんは日付が変わったあたりで吉祥寺を出て新東名まで。新城から浜松まで火災により通行止めという電光掲示板を目の当たりにしとりあえず足柄で様子を調べて再出発。根來はここで靴を片方落とし、龍はWARPを出る時からサンダルが片方ないと騒いでいた。常々我々は賑やかである。沼津を超えたあたりから車内も静まり返り急にきた異常な眠気に耐えきれず新静岡で一度止まり眠眠打破を買い2秒で飲み干すも眠眠は打破できず、浜松で東名に乗り換えた後岡崎まで走って根来真嗣にバトンタッチ。わずか1秒で寝て起きたら根來の家だった。顔洗って煙草吸って安井くんを送り届け、機材をスタジオに片付け、腹ペコだった俺たちはいつもの帰り道にある無鉄砲に行って幕を閉じた。洞くつ屋に始まり無鉄砲に終わる2023年8月22日。久々に会えた緒環さんやWARPきょんきょんさん、愛する写真家ルリコ、あの頃みたいに遠征手伝ってくれた安井くん、かなり良い日。

 

f:id:akrmuff:20230827020937j:image

夢想というのは時間が当たり前に止まっているもので、それを捉えてくるルリコは本当にすごいやつ。


f:id:akrmuff:20230827020940j:image

ALMAとBlastCultの魔力に身を委ね切った私。


f:id:akrmuff:20230827020934j:image

洞くつ屋

 

写真は全て稲垣ルリコ

心のバイアス調整

台風の影響によりひゅすた中止。直撃しまくる島生まれな母からの伝達に従い玄関先の自転車は2、3本のチェーンで締め付けまくり、折れ尽くした傘たちはガスメーターの中にぶち込み備えギネス飲み就寝。昼前に起きて今日どうするかなーと思い悩んでいたところスタジオから今日予約されてる方で来店が無理な場合はキャンセル代なしで大丈夫 という旨の着信が入る。ちなみに空き具合はどうです?と尋ねると食い気味で「1日通して空いておりますので」と返ってきたので電車調べてみると俺が使っているルートは本数を減らしているものの動いてはいることが分かったのでバナナ食い顔洗いありったけのペダル持って十三まで。たとえ1人であろうともやりたいことは尽きないのでちょうどよかった。

今日帰国予定だったであろうデカいキャリー持った方々が南海難波駅中央改札口で途方に暮れていた。多分100人ぐらいいた。本当に。そこを抜けて阪急に乗るまでは日本語が聞こえてくることは一切なく、まるで海外に行ったような、それとも日本が本当に終わっちまったか、みたいな気分になって少しおかしかった。コンビニや牛丼屋以外の全てが閉まっているのを目の当たりにしながらも、スタジオは開けてくれていて謎の申し訳なさを抱えながらもとりあえず5時間取って籠城。まーた調子が狂ってしまったJMPを一度しっかりベンチ入りさせてJTMと再び向き合うことにしたのでまずはそれを。

アンプの経歴を整理する

ライブハウスでやり始めた17才からHue's1年目まではずーっとジャズコーラスで通してその後SOVTEKにOrange4発→4発もスピーカー要らない気がしてきて数の重要性を段階踏んで確認していくためMORGAN1発→mabutaで弾いた際に初めてマーシャル触れてSOVTEKとは明らかに違うハイの飛び方煌めきに気づきJTM購入→30Wの限界を感じていたところ謎のコンボを発見し渋谷まで試奏しにいきピンときたので購入それがJMP→2年半ほど酷使し全体的にオンボロ化→JTMと向き合う決意

JMPのバックアップ的存在と化していたJTM、割れたと思い込んでいたグリーンバックという愛称なのに黒い時期のG12Mをとりあえずで載せていたり適当なチューブ差していたりという有様だったが非常に健康的な出音。もしかして?と高早さんとのメールのやり取りを見返したところ、JTMは購入時に完全オーバーホールしてもらっていたがJMPはプリ管交換とバイアス調整程度だった。そりゃそうかと納得。古いものを扱うのは根気がいりますな。少し前、龍のVOXをオーバーホールして素晴らしい鳴りに変貌を遂げスーパー調子良くアンプで歪ませているのにハッとして「じゃあ俺もJTMでそれすればいいやんVOXとワット数も同じやしどちらもリイシューとは言え生まれた時代も同じ。ということは話が早い」となった結果今である。

プリ管を差し替えながら検討しまくった結果EHX12AY7→SOVTEK12AX7→EHX12AX7となった。他にJJも2本あったのでもちろん試したが語弊恐れず言うとエフェクターのような、きめ細かくサラッとした印象でつまらなかった。バンドで合わせてどう出るかは分からんが。右手とピックアップ位置次第で塊にも放射状にも飛んでくれるエレハモ様を今回は採用。まだまだではあるが着々と真空管のことを知っていってしまってるので試せるならやらない選択肢はない。着地するまでに2時間かかった。少し疲れたので煙草吸ってからは"歪んだアンプに突っ込むべきペダル"を整地。片っ端から試した結果"Buzzaroundの持ち味は爆音のクリーンが出せるアンプすなわちHIWATTやFender TwinReverb系にのみ有効"、"ペダルとペダルだと足し算になるがペダルとアンプだと急に掛け算であり割り算になる"、"ボリュームペダルは1番左これは絶対"ということがわかった。まるで勝手が違う。MASTERのないJTMをVOLUMEフルにし歪ませているのでクリーンの出し方だけ悩んでいたがそれも無事解決。今足元にはB-1が3つあるのでどうにでもなった。音の距離は常に一定で、その密度をどうするかだけに専念すればいいと思い続けていたことにようやく着手できたので頭がスッキリした。そんなこんなであっという間に5時間終了。ひたすら弾きまくる よりひたすらに音色の良し悪しを判断する方が圧倒的に疲れる。これレコーディングと一緒ですな。ヘロヘロでストーリーを見てると龍が「飲みに連れ出してくれる猛者はいるか?」と書いているのが目に入り即連絡同時にTwitterでおくまんと検索。あそこの異常性に狂気を感じながら難波まで降りて一杯飲む つもりが結局何杯いったっけ。しっかしなんでもない日に龍と飲むなんていつぶりやったんやろうか。ビール→白ワイン×5ぐらい→最後ゆず酎ハイという見たことない酒の飲み方をしていたけど...おもしろかったな。奇跡的に二日酔い回避できたし。最近メンバーが一緒に飲んでくれるのでありがてーかぎり。寝るのはミスったが妙に清々しい。

 

f:id:akrmuff:20230816052810j:image


f:id:akrmuff:20230816052813j:image

迫りし自由の果て

つくって、吐き出し、できるだけピュアな状態を大切にするものがあれば数えきれない融解を繰り返し当初とは全くの別物に落ち着くものもある。それらをデータに置き換え視覚化する。一連の流れが終わればまた最初に戻ってライブをして酒を飲み人と話し心が動く物事にだけ手を伸ばし身を委ね、時がくればまたつくる。これがもう6年もの間ルーティンとして当たり前に存在していたけど今初めて変わりつつある。全部同時に進行させてしまえる かもしれない。

出会ったのは14~15才の頃か、メタルにしか興味なかった俺にギターの可能性やらを全て与えてくれたように感じた9mm Parabellum Bullet。Waltz on Life Lineというアルバムが出るまではリアルタイムで全て追い続け、クソ安いepやシングルにつけてくれていたフルのライブ音源に震えて壮絶なチケット争奪戦を何度も勝ち抜き何度も脳や心を痺れさせてくれた。何度も信じて見に行った。ハタチを過ぎたあたりからは困ったことにあらゆる視点でバンドを、ライブを見てしまうようになり気持ちの置き所が分からなくなってずっと好きなバンドを見にいく理由がどんどんなくなっていった。もう知り尽くしてしまったような気がしたしそれを否定できるポイントが何一つなかった。それでもあまりにも腐れ縁すぎるやつが チケット取ったから見に行こうぜ と声をかけてくれたら断る理由は何一つない。わざわざ名古屋まで見に行くも気持ちは何一つ変わらなかった。良い けど。それでも新作がリリースされたら気になって買ってしまう。BABELのリベンジ再現ツアーから明らかに変わってきた気がする。変わったというか戻った。そういう気がするな〜とふわふわした気持ちを宙に浮かせたままだったがBrand New Dayのライブトラックを聴いて確信に変わった。きっと彼らも帰りたい場所や戻りたい気持ちが手に負えないほどに在ってしまった。でもバンドというものは人と人がやっていること、その間には数えきれない程の複雑な何かが虚勢を張り巡らせていて簡単には再起動できない。きっと、ようやくその渦中に入ったのだと思う。そうじゃなくても、俺は自分の中で気持ちを着地させることができたので感謝している。想いを馳せ続けているバンドはもう数える程しかいないけど、どうにか形を保ち続けてほしい。遠い存在の人たちも、すぐ側にいてくれるやつらにも。

モードが違えばインとアウトの割り切りを明確に建てて切り替えてきた。それがどれだけの労力か を気づくのに膨大な時間を溶かしてしまった。今こう思えていることは全て腑に落ちているが。

 

f:id:akrmuff:20230812204704j:image

サムライロックと晴れの国

気持ち悪くて4時半起床。全てを置いて寝てしまっていたので一先ずジャズマスターストラトキャスターの弦を張り替え、放っていた洗濯物と食器を片付けてあっという間に6時過ぎ。家を出ていつものようにみずやん→龍→根來と迎えにいく。朝早いのにみずやんはいつもすっきりとした顔つきでやってくる。龍は今までにない様相だった。そして岡山に着くまで後部座席の足元に横たわり微動だにしなかった。根来は起きていても寝ていても寝起きでも眠くても何も変わらない。恐ろしい。

晴れ渡った山陽道で「今のHue'sに足りないのは銅鑼だけだ。」と話しながら、2、3週間前も走った道を進み12時半岡山着。昼飯を悩んだ我々は「イオンのフードコートで食べたい〜。」というみずやんの意思を安易に受け止め岡山駅前のでかいイオンへ車を進めた。この日祭りがあるということでパンパンの駐車場、なのに車を入れ続ける警備員。イオンの立体駐車場に入るまで30分ほどかかりリハまでの時間は全くない。せっかくきたしな と岡山イオンのフードコートだけでも見に行くことにした。結果、"イオンのフードコート"の概念を司っていたであろうペッパーランチや銀だこ等は一切なく悶えずに済む。ママツーへ。

あり得ないほどの灼熱の中搬入しているとannちゃんもきた。地方にまでいつも ありがとうございます。リハをサクッと終えてようやく飯。龍は風呂。仕切り直しでみずやんがInstagramで募ると各方面から「山冨士」ときていたので信じて入店。本当に美味しかった。その後やけにすっきりとしたので認めたくなかった二日酔いをようやく受け入れる。

喫煙可の茶店でannちゃん含め諸々の打ち合わせとどうでもいい話を2時間弱。している間に龍は5回くらいテーブルとトイレを行き来していた。回数を重ねるたびに青ざめていく顔。最後の回でようやく人の顔を取り戻していた。喫茶店でそうなってる人を俺は見たことがなかった。新しい景色を見せてくれてありがとう龍。その後みずやんと根來は散歩、龍は眠りに、俺はママツーへ戻ってこの眠気をどう処理するか考えていた。

この日はなぜか、全バンド30分しっかりと見続けることができた。こんなことはあまりない。大体は一度どこかで顔を合わせライブを互いに見ていたがしっかりと話すことのないバンドたちだった。そして初めましてのバンドはライブハウスでやるのが初という方々。そりゃ見応えあるでしょうよ。あまりに重く怠かった眠気はいつのまにかなくなっていた。

Hateに始まりMaydayとLukaで締め。あまりに高すぎる熱量を持った岡山の地と人々に立ち向かうには相応しいセットリストでやり抜くことができた。初めて訪れた4~5年前から本当に異常なのだ岡山の空気というのは。それはPapperland特有のものだと勝手に認識していたがママツーでも同じような空気で、本当に地と人でしかないみたい。もうずーっと思い続けてることだが岡山にきて疑問を抱いたことが一切ない。あまりに、不可解すぎる。こんなにも全てするすると腑に落ちていき ただいい気持ちのまま帰れる土地なんかそうそうない。決して嫌いなわけではないがアメ村や下北新宿には疑問を抱きまくる。話逸れたがど頭から最後までひたすらぶち抜き続け、まだ満足いかんというフロアに応えお蔵入りしていたMaydayを解き放ち、またまたお蔵入りしていたLukaを暴発しようやく治った。皆。最後の最後でLukaをやった日は身がズタズタになる。それでも根来真嗣は何も動じない様子で真っ直ぐ物販まで歩いていってくれた。理解できないが心底感謝はしている。

この日最も恐ろしかったことといえば、主催であるはとりさが詳細を送ってきてくれた時最後の一文に「打ち上げは〜」という旨を添えていていたし俺らがママツーについてからおはようございますの次にはまたその言葉を発していたこと。二日酔い2人がいたがその熱量に押し負け根來を残し俺たちは打ち上げに向かった。去年の岡山での1日をつくってくれた功凌もいて向かいながら色々話していた。彼は本当にいいやつ。ずっと知っていたけど深く話すことはなかったzoo、umimiru、トキさん、呼んでくれたはとりさ、初めましてであったがバンドで出れなかったHand Lampの2人、ママツーのPAさん、功凌、岡山はライブから打ち上げまでとめどなく果てしなく際限なく最高だった。最後のはとりさブチギレからの大号泣も本当に最高だった。打ち上げを体現してくれていて、二日酔いが酷くて出席せずに帰ろうかと思った自分を情けなく思ったよ。スタジオに機材を片付けにいかなきゃならんタイムリミットが来たので川縁で盛り上がっていた皆に別れを告げて根來の眠るパーキングへと向かおうとした。功凌が見送ってもいいですか?というのでそりゃもちろんありがとうよと振り返ると全員いた。たまげた。すまんと思いつつ根來を叩き起こし車を東に走らせてもらった。写真の人たちに見送られ。

f:id:akrmuff:20230804194820j:image
f:id:akrmuff:20230804194717j:image
f:id:akrmuff:20230804194713j:image