Kintsugi

2018年7月17日(火) 渋谷 乙

この日がなけりゃ俺たちは何もなかったかもしれない。色々いい感じになってきたし東京でライブしてみてえなとFireloop安井くんにお願いし数本組んでもらった。初めての遠征、ソウルフードにはハイエースまでお借りしてごとくも呼び出し計6人とありったけの機材を載せて東京を目指した。初めての新東名。この頃はずっと夜走りで日が昇り始めた刈谷辺りごとくに運転を代わり寝て起きたら渋谷にいた。渋谷乙の前は一方通行な上に凄まじく狭い道。後ろから車がきたら詰む。これが東京における搬入か...と覚悟を決め1分決死の路駐をかましなんとか完了。乙、俺が大好きな9mm Parabellum Bulletがずっと昔やりまくっていたハコか〜とアイスコーヒー/IQOSをやりながら無理やり目を覚ます。リハを終えてからオープンまでは龍がエフェクターかアンプが欲しいと言うのでイケベ楽器に行ったりして時間を潰していた。この日はCRYAMYに出会った日でもあり、確か1番手か2番手で彼らは彼らで凄まじいノイズ/叫びを放ち続けていて最前列ではヤマトくんと石左くんがゲラゲラ笑いながら盛り上がってるのが異様だった。勝手の分からぬ東京にソワつきながらIQOS吸いまくって落ち着こうと何度も繰り返していたけど急に心奪われるものがあった。メロディーとリズムのハマり方が知ってるようで知らないそれを彩るコード感、俺みたいに落ち着きのないぐちゃぐちゃなギタリスト、音デカくてうるさいけど爆発する瞬間と守る瞬間の速度が笑ってしまうくらい全員同じ、誰か歌ってそうで歌ってない言葉、見た目とは裏腹に繊細で綺麗なコーラスワークス、バンドのエンジンだということを自覚していないとあり得ない太鼓の鳴らし方、こういくらでも書けてしまうくらい良かった。けどこの頃の俺はとにかく尖っていて自分と自分たち以外には興味なかった。悔しいでもなく嬉しいわけでもなく感じたことのない気持ちを抱えたままとりあえずHue'sのライブをこなして、トリのバンドも終わってからごとくと2人で煙草をふかしていた。とりあえず乾杯するとのことでバーカンに並んでいると声をかけられた。「めっちゃかっこよかったよ!ギターいいね!俺ら同い年らしいよ!」「あぁ、ありがとう。」その一言で終わらせた俺は本当にどうしようもない。こいつのことを もう どうやっても表しきれない程に愛することになるなんて22才の大島旭が知る由もない。日付が変わって1時ぐらいに搬出して我々は吉祥寺に向かった。翌日はWARPでライブだった。

 

2018年7月18日(水) 吉祥寺WARP

吉祥寺の適当なPで車中泊。異様な暑さで10時頃起床。各々入りまで時間を潰す。井の頭公園まで歩いてみたりココナッツレコードやディスクユニオンで何枚か適当に買ったり、家系を食ったりしてやり過ごした記憶がある。今となんも変わらんね。これ以上暇潰せねえなということで15時頃、少し早いがWARPに行ってみると既に彼らは楽屋にいた。熱っぽく体調が悪いドラムのやつを横に高めの熱量で揉めてるデカいメガネとマッシュスキニー、あわあわしているあいつ。「昨日ぶりだね」とだけ話しそれ以降は何もなくオープン、スタートまで。弾き語り2組とバンド2組という今考えると異様すぎる平日ブッキングに戸惑いながらもまた煙草を吸いながらやり過ごしてた。弾き語り2組のライブが終わり(その1人はなんと緒環さんであるが覚えてないすまへん!)ようやくでっかい音が鳴った。入り口でバンド名と名前を伝えチケット代を払いフロアに立っている人は多分5人もいなかったと思う。それでもでっかい音が鳴れば、そしてその音が良ければ人の心は動く。流石に2日連続見れば曲も覚えてる。覚えれるぐらいには爆音ではあるが歌詞もメロもよく飛んでいて何よりも透き通っていた。もう完全に心は持っていかれた。でも素直に話せない自分がいた。打ち上げではWARPきょんきょんさん、Fireloop安井くん、Hue's、彼ら、緒環さんという今考えれば全然有り得るしかなりの神回になるであろうメンツで長机を適当に囲み、ようやくしっかりと腰を据えて話した。が、誰もが緒環さんの稲川淳二トークが面白すぎて完全に持っていかれた。着々と酔っ払っていく面々。ふとした時あいつがまた急に声をかけてきた。「足元見せてよ!あとあのアンプの横に置いてるデカいやつなに?」「歪みばっかよ!あれはパワーコンディショナーって言って電源安定機?みたいなやつ!」機材の事を聴かれると素直になれなかった俺もスラスラと話せるようになった。日付が変わる頃だろうか、彼らは洞くつ屋行って締めようぜ!と言い始めた。それに何故かブチギレる安井を置いて彼らについていった。ここで知ったのだ洞くつ屋も。確か互いにドラマー以外はみんないた気がする。やけに落ち着く時間だった。全員同い年で、"誰も聴いてねえだろこんなかっけえバンド"もいくつか重なったし、なんと言ってもパワーとしなやかさのバランスがとても近かった。全てにおいて。きっとまたすぐ会うだろうじゃあまた気をつけて!と俺らはソウルフードハイエースに乗って、彼らはデカいメガネのステップワゴンに乗って解散した。そうやって俺たちは出会った。

それ以来、彼らがFireloopにライブしにくるとなれば打ち上げにのみ乱入したり、Hue'sが東へ行くタイミングで彼らは西に行くとなれば間の浜名湖SAで一度合流して煙草だけ吸ってじゃあまた とか、4ヶ月連続個人企画をした時には龍が彼らを誘ったり、もう挙げ始めるとキリがない。俺にとって1番印象的だったのは名古屋のサーキットの時に彼らもいて楽しみだな〜とワクワクしていると前日にマッシュのスキニーから電話がかかってきた。「あいつがインフルになっちゃってさ、明日来れないからギター弾いてくんない?」と頼まれた。人生で初めてのサポートギターである。当日は酷く緊張したがもうただの好きなバンドになっていたので曲はもちろん全曲知ってるしライブにおけるピークの持っていき方も知っていて気持ち良かった。それ以降5回?ぐらい彼らのステージを共にさせてもらった。

楽しい記憶だけでは収まりがきかず我々は共に失ってきた。何度もいろんな人と出会ってきたけれど失ってしまったものはあまりに大きく尊いものだった。前触れなんかない。彼らからの急な電話というのはほとんどがハッピーなものではない。未だにあの報せを受けた時のことをはっきりと覚えてる。事務所で物販のTシャツを畳んでいる時にデカいメガネからの着信。「あきら聞いた?」「いや、なんの?どれ?」話を聞いても全然ピンとこず、実感もないままだったのでヘラヘラするしかなかった。そうやってその場にいた当時のマネージャーと龍とみずやんにも伝えた。それ以降定期的に連絡がくるようになった。「この日ギター弾いてくれない?」「もちろんやるべ」あいつの代わりは俺しかいないという自負は大いにあったけれど気持ちが追いつかなかった。どうすればいいかずっとわからなかった。お互いバンドは非常に良い感じだった。イメージの延長線上にしっかりあった。それでもいなくなった。俺たちがAmbi-Waveを出した時に東京でのレコ発を彼らの力を借りて組んだ。複雑すぎる気持ちのままごとくの運転する車に乗って吉祥寺に向かった。よく晴れて空の広い日だった。1番後ろでぐっすり眠れてトランクが開く音で目が覚めた。もうWARPの前にいた。とりあえず機材を入れ始めるとヘラヘラ笑うあいつがいた。もう嬉しくてしょうがなかった。ライブも1番前で嬉しそうに見てくれた。俺らが終われば、始まるあいつらのライブ。俺以外にサポートを受け持っていた人はあと2人いて、そのうちの1人が正式サポートになりなんとかこなしていた。複雑すぎる心持ちではあったが良かった。彼らは続くと確信を得れた。問題はアンコールである。見覚えしかない4人がステージにいた。2曲やった。友達のライブで初めて涙が止まらなくなりハイネケンもいつのまにか空っぽ。心かのように。あっという間に終わってしまって呆然と立ち尽くしていると「旭?あんたが旭か?」と声をかけられた。大量のハテナが頭に浮かんでいたけれど「あいつのおかんよ!」と言われまた泣いてしまった。あいつのせいで俺は何故こんなに涙を流す人生を歩まなきゃならんのだ。その後は心が崩壊して飲みまくり意識を取り戻した時には板橋区にいた。携帯を見ると大量の着信。すまん生きてるとだけ返信してもう一度気絶した。この後も何度かこういう夜があった。サポートの彼とも着実に距離を縮めることができて、何度も共に飲み今がある。本当に良かったしありがたい。嬉しい。

俺たちにも失う瞬間があった。名古屋/下北沢と2日連続での遠征にある1人は来なかった。この時ばかりはHue'sの存続が危ぶまれた。もう無理だと思った。来ないとは言え残る俺たちが行かない選択肢はないだろうということでとりあえず向かいはした。名古屋では「1曲だけでもええからバンドでやりたい。」と言う龍。サーキットのタイムテーブルを見て1人だけ叩いてくれそうな人がいた。それが根来真嗣だった。道中に電話してみるとあっさりオッケー。名古屋のPでシンバルを全て持って現れた。「んまぁ、せっかくやしな〜」彼の異常性。褒めている。4曲程龍の弾き語りでSwanを龍と俺2人でやり、最後Youthだけは根来真嗣に叩いてもらってやった。感謝を述べ、その後はずっと車で寝ていた気がする。夜が明ける前に東京を目指し走った。後ろで爆睡する龍。助手席にはみずやん。浜松あたりでカーステがぶっ壊れて2人で爆笑した。ギリギリまだ俺たちは笑えた。下北沢でのライブは全て龍の弾き語りでいくことにした。まるで解散ライブかのようなMCをしていてグッとくる、わけでもないが、「まだ終わらんけどな」と強く想えた。この日の打ち上げは壮絶だった。俺たちに関係する全ての東京のバンドが心配して会いにきてくれた。その中にもちろん彼らもいた。

互いに人が変わり音楽の形が変わってもずっと1番近くにいた。会いたければ会う。それが簡単に叶う関係。彼らのおかげでルリコにも出会えたし他にも色んな人と打ち解けることができた。何よりも、今の俺の生活が存在するのは確実に彼らの力であった。カイシュウと直也も交えて奈良でキャンプもやった。そのまま翌日Fireloopでライブをしたけどめちゃくちゃ楽しかったな。

最近で言うと、あらゆることが重なりHue'sというモノが皆それぞれ重く鈍いものになってしまっていた時期がある。知らないふりをしてやり過ごすしかない と無理やり思って逃げていたがまたすごいタイミングなもので、ANIMAで彼らと対バンだった。打ち上げはなかったものの話足りない我々は三角公園に場を移し飲んでいた。俺たちの空気に痺れを切らした2人が「ちゃんと思ってること話せよお前ら!」とキレるわけではないが真っ当に突っ込んでくれた。そこでようやく目が覚めた。借りばかりが増えていく。その時ベロベロに成り尽くした裕人が「俺たちはもう最高なんだから!失敗したいよね!お互いダメだったな〜って日ないじゃん?なにしたらそうなるのか!失敗しようぜ〜」と何度も言っていたのを今も深く覚えてる。

書き出したら止まらなくなってしまう。ということで出会ってから5年経った今ようやくツーマンすることにしました。わかりやすい経緯を書くと、去年FANDANGOの周年としてmabutaがそこでワンマンをやった。もちろんHue's全員見に行った。最高の日だった。盛り上がり続ける打ち上げで誰もが「来年はmabutaとHue'sのツーマンやな〜!」と口を揃えて言っていた。それを真に受け止めまくった俺たちは何度もmabutaとFANDANGOに確認した。どちらもふわふわし過ぎていたけど6月頃?ようやく本当に決まった。となれば、せっかくだし東京でもやるやろ と提案。すんなりオッケー。ライブハウスで丸1日この2組しかいないって当たり前だが今まで一度もなかったので予測がつきません。特にフロアの空気。まぁどうなろうとも良い音楽が鳴るのは間違いない。俺らの信念はすごいよ。クロスフェードする瞬間を見届けて欲しい。ようやくやれる。確かな光を信じて音鳴らすそれだけ。

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