2019.11.12

目も耳も中途半端に肥えて良いもの、悪いもの、興味がないものの判断を一瞬でしてしまうようになった。それが良いのかがずっと分からないでいる。そうして段々と人と話せなくなっていきすぐ塞ぎ込んでしまう。これは良くないこと というかそうは在りたくないなと思う。そうなってきたらまず、初心に帰る。ずっと好きだったものに頼ってみる。

11月9日(土) 梅田 CLUB QUATTRO、細かいことを沢山確かめる気で見に行ったけどそれどころじゃなくなった。人ってあんなにも変わらずにいれるもんなのか。サラッと出てきた瞬間、ライブハウスで感じたことのなかった空気にガラッと変わった。緊張と強い覚悟。あの頃と同じであろう2tone sunburstのテレキャスを持ってハーモニクスをポローンと鳴らした瞬間、張り詰めいた空気に夜明けの朝日よりも眩しく優しくて温かい琥珀な色があのデカいクアトロのフロアにばーって広がった。歌詞とは違う何かを口ずさみながら連なる複雑なアルペジオと首の角度。歪み切ってないもののなんと言ってるかギリギリ聴き取れない前のめりなシャウト。指揮者みたいな動作の意図は相変わらず見えないけど、とにかくぼくはあれが好きで、何故かすごく安心してしまう。斜陽の2番Aメロ、ギターを弾かないとこでずっとなんか言ってた。自分の作った音楽に取り憑かれたように狂う高橋國光をまた見れて、本当に、不思議な気持ちになったよ。自分の中のトラウマとかずっと塞ぎ込んで無かったことにしていたものたちが全部開いた。みたいな時間。比喩。

いなくなった画面の向こうの人たちへの執着は一切ないんやけど、いざこうやって目の当たりにしてみたら自分が思ってた以上に思い出とか憧れを当てつけていて、それを持って生きてたんやなあと。また表立った活動してくれて嬉しい。あの頃の残響は斜に構え続けていた高校生の俺の拠り所やったので、高橋國光の作る音楽はどれもこれも安心できる場所になる。優しいものに触れると心が崩れ落ちる。落ちた。

 

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